若き日の思い出

明けましておめでとうございます。

昨年末、大掃除をしていたら懐かしいものが出てきたので書いてみたいと思います。

それは、

1993年のベルリンフィルのプログラムである。

当時ベルリン留学中であった私は、よくベルリンフィルを聴きに行ったものだ。
チケットは学割や、立見席で10マルク前後。
(今はユーロですね。日本円にすると千円しないくらいだったと思う)
その金額でベルリンフィルが聴けたのです。
最高ですね!

さて、

いつも安いチケットを買っていた私が
なんと、57マルク(五千円弱)も出して、
Aブロック(中央あたり)の7列目の16席目のチケットを購入している。

なぜか?

そう、この日はコンサートマスターの
レオン・シュピーラー氏の引退コンサートでもあったのだ。

前半にプロコフィエフのバイオリン協奏曲第2番。後半は、ショスタコービッチの交響曲第8番。
という演目。

ふだんならいい演奏が聴けた、良かった!で終わるのだがこの日は違った。

前半、シュピーラー氏のコンチェルトが終わり、休憩。そして、後半が始まる直前に私の左二つ三つ隣の席(わたしが16席だったので13席か14席)にササっと座る年配のご夫婦がいた。
演奏直前に来るなんて失礼な人だなーなんて思って見たら、なんと今さっき舞台で演奏していたシュピーラー氏ではないか!びっくり仰天!
後半のショスタコービッチの交響曲、どんな演奏だったか全然思い出せない。なぜなら、左隣が気になって、気になって仕方なかったからである。

そして、演奏が終わると周りの聴衆も彼に気づき、なんか遠巻きに見ている。私としてはそこを通らなければ帰れないので、彼の前に行き「本日の演奏は素晴らしかった、良い思い出になった」みたいなことを言って帰ろうとしたら、何か勘違いしたご婦人が「ペンならありますよ」とシュピーラー氏にペンを渡した。ペンを受け取った彼にしてみたら、この目の前にいる東洋人の子ども   (私はドイツに行った時、近所のおばあさんにギムナジウム[ドイツの高校卒業試験]は終わったの?と聞かれるほど若くみられた)   にサインをしなければいけないという状況に置かれた感じだった。
私としては思いがけずサインを貰うことができたので喜んだ。
周りの人達も何かきっかけが欲しかったのだろう、私がダンケシェーン(ありがとうございます)と声をかけて立ち去ると同時に、遠巻にしていた聴衆が一斉に彼に詰め寄ってサインを貰ったり、話しかけたりしていた。

これが1993年6月6日の出来事である。ベルリンの壁が崩壊し数年しか経ってなくて混沌とした中、怖い事、辛い事も多かったが、この様に心に残る思い出もある。

今、コロナ禍で大変で辛いと感じていても将来、「辛い中にも良い思い出があった」と言えるようにしましょう!

本年もよろしくお願いします。

埼玉県 蕨市 バイオリン ビオラ ピアノ 音楽教室 

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